生きるという選択

皆さんは「生きる」という選択をしたことがあるでしょうか。


命があり生きているということはあまりにも当たり前で、自ら「生きる」ことを選んだ、という感覚はないかもしれません。


もしかしたら、死にたくなったり、死を身近に感じたり意識した場合、そこから生きるということを選んだ方もいるかもしれません。



しかし一体、「生きる」ことを選択するということには、どういう意味があるでしょうか。



今日、ある衝撃的なフレーズを聞きました。
ある方の生き方の話です。



「魂(人間性)の成長をしないという人生を選ぶくらいなら、死んだ方がましだ。」



裏を返せば、



「生きることは、魂(人間性)の成長をすることが目的だ」



となるでしょう。



魂の成長をしない人生なら、生きている意味がない。



例えば、魂の成長という目的を見失い、エゴを満たすために生きているとしたら、、、



お金のため、地位のため、出世のため、現世的な成功のためだけの人生だとしたら、、、、



この肉体を持って生まれてきた意味がない、



死んでいるのと同じだ、ということになります。


私たちはついつい、保身のためなのか、お金のために働いたり、地位のために働いたり、名誉のために働いたり、そういうことが目的になってしまうことがあります。



それは、エゴを満たすためであって、魂の目的とは離れていることが多いです。



「生きる」ことは、魂の成長をすること。



魂の成長とは、それぞれに与えられた役割を果たし、存在価値を行使していくこと。世の中によい影響を与えること。人のために尽くすこと。



今の私自身はそんな風に思ったりします。



私は私の人生を「生きる」ことを選択し、魂の成長をする人生を選ぶ、と今日思いました。



そのためには、エゴと折り合いをつけて、安全だと思っている範囲の外へ出ていくことが必要になっていくでしょう。



怖さを感じる方へ。生きる選択をしてみたいと思います。

多良見かなえ 沖縄ゆんたく日記

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