あらためて人間は致死率100%
ひと昔前、養老孟司の「バカの壁」というベストセラーがありました。
これに書いてあったのは、人間の致死率は100%であるという、当たり前すぎて、みんなが忘れていることでした。
帰省して両親に会ったのですが、2人とも老いや病気、死といったものを、よりリアルに感じるのか、そういうものを恐れる気持ちが強い気がしました。
そして、それらを受け入れるというよりも、避けようとしてる感じがあるのです。
私は若くて今は元気だから、というのもあるのかもしれませんが、どうして死や病気をリアルに感じるのなら、どう生きたいか、どう生きるべきかという方向にいかないのか、すごく疑問に思いました。
人間誰でもいつかは死にます。肉体の死を迎えます。
ですから、今ある命をどう生かすのか、どう使っていくのかというところに、なぜ意識が向かないのかなと思いました。
それだけ、本気で生きているわけではないのかもしれません。もっと身近なこと、目の前のことに囚われているのかもしれません。
それに、本気で生きるということを考えたことがないのかもしれません。
人間だれでも、いつかは死にます。それがいつやってくるのか、もしかしたら、明日かもしれません。それはだれにもわかりません。
病気をしたり、肉親の死を経験したりすると、それらを忌み嫌うものとして扱ってしまうのでしょうか。
死はだれにもやってきます。
だからそれにおびえて、今の自分の行動を制限するよりも、今をどう生きるのか、どうやって自分の命を燃やすのか、だれに何を伝えたいのか、誰に何を残したいのか、そういうことを考えた方がずっと前向きなんじゃないかなと思います。
たぶん、そこまでリアルに感じられてないから逃げたり、恐れたりして、縮こまってしまうのかなと思いました。
いつ死んでも大丈夫なように、生きていきたいとあらためて思いました。
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