本物の自己肯定感とは
近頃、自己肯定感という言葉をよく聞きます。
特に「子供の自己肯定感を育てよう」といったフレーズです。
このとき、おおきく間違えてはいけないのは、自己肯定感というものは、学業の成績やスポーツの出来ばえ、習い事などの能力、そういったものとは関係ないということです。
テストで良い点をとったから親が褒める。これは、ともすると、間違ったメッセージになることがあります。
裏を返すと、テストで悪い点をとると褒められない。というメッセージです。
むやみやたらに褒めると、子供は『成績が良いと褒められる=自己価値を成績が良い事に見出す』ことになってしまいます。
つまり、成績が悪い自分はダメな自分と、思い込むことにもつながりかねません。
成績がいいから認める。スポーツができるから認めるという、条件付きの認証というか、そういうものは、反対の意味も含んでしまいます。
勉強やスポーツが出来ない場合の自己否定を、はくぐむことにもなりかねないのです。
基本的には、自己肯定感というのは、存在自体を肯定することです。ありのままのその人を受け入れることです。
究極的には、たとえ、お金が全くなくても、学歴がまったくなくても、運動が全然できなくても、自分には生きて存在する価値があると思えることなのです。
ですので、間違った自己肯定感を育てることに注意しないといけません。
子供の頃は、ありのままの子供を受け入れ、ほめもしない、けなしもしない、うんうんとその子の存在を認める、そういう地味な忍耐強い作業なのかもしれません。
(もちろん、ほめてはいけないというわけではありませんが、褒めることは時として、自己否定を育んだり、コントロールになることがあるので、注意が必要です)
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