自分の価値を自分の外側に求める不毛さ
承認欲求という言葉をご存知でしょうか?
人間には他人から認められたいという欲求があるという話です。
承認欲求の裏側には、自分の価値を自分で認められていないという状態があります。
自分の価値を自分が感じられてない場合、、
その事実に蓋をして、自分の外側に、自分の価値を見出そうとします。
例えば、受け取るお給料であったり、自分の持ち物であったり、買い物する物であったり、または、恋人や結婚相手であったり、家とか、車とか、、、
なんでもあり得ます。
自分を満たすためにそういった物を得て、満足を、高めるのは、良いことです。
ところが、じつは、その得たものに対して、自己価値を投影してしまうと、じつは、その得たものの価値そのものを受け取れないということがあります。
例えば、「この高級車を買った自分はすごい」と思ったとします。そうすると、その高級車の持つ本質的な価値を、受け取れない状態になっているのです。
違う価値をその車に投影してしまっているのです。
こういうことは、とてもよく起こります。
また、難しいところでもあります。
本質的にいえることは、自分の価値は、お金の量でも、高級なものを持っていることでも、素敵な家族がいることとも、じつは直接関係ありません。
逆にいうと、極端ですが、いくらお金がなくても、家もないとか、家族がいなくとも、関係ないのです。
自分の価値は、自分がどれだけ自分に価値があると思っているかどうかです。
自己承認をひとつひとつ積み重ねることが大切です。
外に求めてしまうと、いくら高い車に乗っていても、自分より高い車に乗っている人もいます。お給料、家もしかりです。
どんどん、自己否定のループにはまります。
疲れます。求めても本当にほしい自己価値は増えていきません。
自己価値は自分でひとつひとつ認めていくことのようです。
自分自身も自戒を込めて思います。
この週末のまなびでした。
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