出生時の感覚
八ヶ岳音楽堂での瞑想会では、自分の出生時にさかのぼる瞑想もしました。
お母さんの子宮に宿る時、おなかにいる時、産まれる時、産まれた直後の感覚、、
さかのぼっていきました。
はっきりと、明確に思ったのは、私は自分の母を決める時、この人しかいない!ってかなりねらいを定めて、自分で決めて入っていました。
(他の方で、誰かに言われて、母親を決めて入ったという方もいました)
たしかに、今から思えば、この人しかいなかったかもしれません。
はっきり言って、小さい頃は嫌な思いもたくさんしたけど(当時の主観でしかないですが)それも、結局今のこの自分のために必要不可欠な母だったんだなと思いました。
それから、出生時に、自分は生きることに対して、とてもこわくて?嫌で?もう陣痛始まって押し出されそうになっているのに、身体が抵抗して産まれることから逃げようとしている、という感覚がありました。
生まれるのが相当嫌だった、逃げたかったようです。生きることにコミットできてないのです。
この期に及んでそうなのか、、と、思いましたが、よくよく考えてみると、その後の人生、だいたいの局面において、逃げてきたなと気づきました。
結構人生としては、いろんな状態(OL→受験生→医学部生→研修医→子育て麻酔科医→主婦→でも結局医者とヒーラー)を経験してきましたが、それらがだいたい同時に逃げの選択でもあったのです。
でも何だかんだ色々仕方なくて、結局逃げられないとわかっているのか、逃げ腰ながら、なんとか今に至っているなと思ったのです。
でもこの逃げ腰の姿勢は、今後改善するための課題、、でもありました。
ヒーリングでは、バーストラウマを癒すと言っていますが、産まれる時の感覚が、こんなにもその後の人生に、私の場合は大事なところも小さな事もほぼすべてに影響していることが、自分事として理解できました。
その場にいた人たちで、少し体験をシェアしたのですが、シェアした方達は、みな、産まれる時の産道を通る苦しみは感じなかったとおっしゃってました。
私も、産道を通る時の肉体的な苦痛は感じませんでした。
そこにいた人達は、皆いちおう一悟術のヒーリングを受けた人しかいなかったので、そこは改善されてるのかなと、思ったりもしました。
もし、仮に産まれる時の肉体的な苦痛を感じていたら、その後の人生や生きることに対して、苦しみや辛さというのは、どうしてもつきまとうのではないかなと、ふと思いました。
生きることは苦しい、生きることは辛いといった感覚です。
ただ一方で、バーストラウマは人間を人間たらしめているもので、バーストラウマが全く無い場合は人間でいられなくなるそうなのです。
つまり、この世に存在できなくなってしまうというのです。
バーストラウマが何なのかというのは、たしかに私ももっと理解する必要がありますが、今回は、それが人生の根底にあるんだということが、身をもって理解できました。
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