『生きる価値がない』というおもい
先日の学びの場で、自分自身の中で、『生きる価値がない』という想いと、『より良く生きたい』という想いが、たたかっているという問題が浮上しました。
そして、その『生きる価値がない』という想いはかなり根深く、現実に影響を及ぼしてることもわかりました。
学びの翌日、家に帰ると、さっそくわかりやすい大問題が現実的に現れてきました。
かなり厄介です。
ここは、足を引っ張っている『生きる価値がない』に向き合って、手放す必要があるんだなと、必死に向き合おうとしました。
生きる価値がないということは、生きてるものには全て価値がないという考えに結びつきます。
自分以外の、生きとし生けるもの、そして、自然や地球、もしかしたら宇宙まで、存在価値はないと思っていることになります。
全ての存在を否定したいような想いです。感じようとすると胸のあたりに固い固いものを感じました。すぐに溶けそうにはありませんでした。
では、なぜそれを手放せないのか、握りしめているメリットがあるはずと思い考え直しました。
全ての存在に価値がないとしたら、おそらくそれを利用して、人をコントロールや支配したり、破壊したり、殺戮したり、それを正当化する理由になります。
過去生でのめちゃくちゃしてきたのはそのあたりから来ているのかもしれません。
今は、人をコントロールや支配したいかというと、トラウマもある程度解消してきたので、あまりそういうことはできなくなりました。
存在否定に基づいた破壊や殺戮も、できないと思います。
もう今は必要のない概念かもしれない、、それを握りしめていてもあまり、メリットはないような気持ちになりました。
『生きる価値がない』『自分や全ての生物に存在価値はない』そういうおもいを持ち続ける意味はあまりないように思えました。
すこし手放せそうな手応えを感じたのでした。
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