薬漬けの医療への疑問
なんとなく、思っています。
医療に携わる人の中でも実はかなりの人はこのことに気付き違和感や疑問を持っているのではないでしょうか。
それは、飲む薬の種類の多さです。
実は高齢者のポリファーマーシーというのが問題にもなっており、6剤以上飲んでいるともうどれがどれだけ効いているのかわからない、意味がないというような話があります。
6剤なんて飲んでいる人いっぱいいます。
例えば、高血圧、糖尿病、脂質異常症(高コレステロール血症など)、さらに夜間頻尿があるために前立腺肥大症の診断があれば、例えば降圧剤と糖尿病薬は2剤ずつ、コレステロールを下げる薬を1剤、頻尿を抑える薬を1剤で、もう6剤になります。
そこに加えて膝が痛いとか、夜眠れないなんて言い出したら、痛み止めと、眠剤がさらに上乗せして最低2剤は処方されるわけです。
薬がどんどん増えていって、8種類、しかも薬によって朝晩2回とか、毎食後とかあるので、8種類でも錠剤にしたら、1日10錠以上とか薬を飲むハメになります。
これは、まず、症状に対する薬をそれぞれ最低ひとつは、出していくからこうなります。症状や、検査値異常がふえれば増えるほど薬の量が増えていきます。
その背景には、西洋医学というか現代医療が、基本的に要素還元主義(reductionism)という立場をとっているからということになります。
要素還元主義とは、簡単に言うと、物事の全体像を理解するには、その中に含まれる要素を分解して理解していく必要があるというような考えです。
車などの機械を分解してひとつひとつの部品に分けてそれぞれの不具合を治せば、故障も直るというようなイメージです。
がんが大腸にあるから、ガンの部分を手術で取りましょう。そうしたら、もとの元気な身体に戻りますという感じです。
たしかに、これで医学というものは進んだのかもしれません。
一方で、ポリファーマーシーの問題は「木を見て森を見ず」という事になるのだろうと思います。
部分部分の不調に対して、ひとつずつ薬で対処していったら、大量の薬を内服することになっていた、1日にしたらもう10錠とかそれ以上の量の薬を処方されていた、なんてことがザラにあるのです。(医療費が逼迫するのも当然ですが、、、)
そんなにたくさんの薬飲みたいでしょうか。
一方で、中国で生まれ日本でも発展した漢方薬というものは、人をまず全体の印象から判断します。
体全体が細く、なんとなく生気が足りないような顔の青白い人で、声も弱々しい。そんな人が胃もたれするとやってきた場合。または、筋肉隆々で、大きな声の体格のがっちりした人が、熱を出して風邪をひいてしんどいとやってくる場合。
漢方では、望診といって全体の見た目の印象を第一に処方を考えていきます。
要素還元主義の反対で、全体論(wholism/holism)的な物事の捉え方をしています。
漢方薬の良いところは、ざっくりとはいえ、その方の体力や見た目の印象などから同じ症状でも、薬を変えて選んでいくというところと、いくつかの症状に対して、ひとつの薬で対処できるという、優れた面があります。
そして、その方の症状に薬がうまくフィットした場合、かなり早く効果が現れたりします。わりと即効性があるのです。
西洋医学と東洋医学はよく対比的に語られますが、たしかに対比的な物事の見方をしています。
どちらが、優れていてどちらが絶対いいということは簡単には言えないのかもしれません。
しかし、西洋医学一辺倒になると、限界に行き当たることもしばしばあります。
そして、行きすぎた還元主義のために、全体が、なんだかおかしなことになっている、気づいたら、本質的なところからだいぶ離れていたというようなことも起こり得るのです。
結局は健康に生きるためにはどちらの見方も必要かもしれませんが、より本質的な健康というものを、考えた時に、行き過ぎた還元主義というのは、「気を見て森を見ず」という落とし穴にはまっていることもあるのです。
薬をなるべく飲まずに健康で長生きしたいと、誰もが思うと思います。本質的な健康を追求するためには、実は薬だけではどうにもならず、飲むお水、食事、運動、睡眠、心の健康といった生活習慣がとにかくいちばん大切であるということは、地味過ぎてあまり人の心に届かないかもしれません。
医者自身も正しい健康なあり方を医学部でも病院でもあまり教わってきていないし、その価値の大切さを理解している人は多くはないのかもしれません。実際、ただ単にワーカホリックな現場でもあるので、そういう余裕もないかもしれません。
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